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2013年11月14日木曜日

自分たちは何者か

担任研修の3回目をある学校で行ってきました。
5月に集中研修でコミュニケーションスキルやリーダーシップ・モチベーションに関する理論を学び、「最高のクラス」とは何かを考えていただき、学級経営に関する計画を作っていただいていました。
3回目は、その計画をもとに行ってきたこと/行えなかったことを振り返り、そこから学んだことを次に生かすという回です。

最初のマインドセットとして行っていただいたセッションが「私たちは誰か」という話し合い。
朝一番にも関わらず、一気に話し合いが過熱していきます。

前回作成した「最高のクラス=おにぎり=形は似ているが中身は一つ一つ違う」の定義を生かして、「私たちはおにぎりメーカーである」と定義するグループもあれば、「我々はどこから来て我々はどこに行くのか。そして、われわれは何者なのか」と哲学的な問いを深めていくグループもあります。この大きな問いにどのようにアプローチしていけばいいか、と考えるグループもあります。

また、夏に独学したマインドマップを使って、「私たちは【学校名】レンジャー」である、と戦隊ヒーロー/ヒロインに例え、情熱の赤、時に悪者の黒、冷静さの青、時に馬鹿になれる黄、愛情のピンク、と定義したグループもありました。

どのグループにも共通していたのは、「自分達は何者か」という問いを真剣に受け止めていた点でした。こうした先生のいる学校は、素晴らしい学校だと思います。

進路学習プログラムが定着するまで

ご縁があり首都圏にある中高一貫の女子校で、進路指導に関するお話を伺う機会に恵まれました。
その学校に関心を持った理由は、ホームページを拝見した際、進路学習プログラムのページが別にあったことです。
進路指導について書かれていない学校はないのですが、別のページにしているそのプログラムの内容はどのようなものか、という興味が湧きました。

明るい色のフローリングに吹き抜けからの光が差し込む、開放感のある校舎です。

現在の進路学習プログラムは中学3年から高校3年までを対象にしています。
今後、中学生から連続したプログラムにされる予定です。
中学3年では「働く」ということを考え、高校では関心のある分野別にクラスを超えたグループ学習を行う中で進路について考えるプログラムとなっています。

●なぜ進路学習プログラムを始めたのか
このプログラムの始められたA先生は、過去に担任をする中で、大学受験間際になって志望校を決めた生徒がいたことを話してくれました。
しかし、その生徒は、経済学部と商学部の違いなど事前に十分に調べることがなかったため、大学入学後に悩んだと言います。
そこで、まずA先生のクラスで一緒に本を読んだり、勉強会を開いたり、大学の先生を読んだりとする活動を始めたそうです。
当時の学年主任が、「失敗したら自分が責任をとるから」という後押しをしてくれたことにも感謝しているということでした。

●どのようにプログラムが定着したのか
A先生はこのプログラムを他の学年にも紹介していきます。
最初は、「こうした取り組みをしていますので、協力させてください。」という形で関わっていきます。
そうして成果を示すデータを集めていき、全体に広げていきます。
こうした地道な活動を続けることで、卒業生の多くが附属の大学に進んでいた時期を経験している年配教員との意識のズレや、「これをやって受験にどれだけ効果ある」という声、また「校務的にも負担である」という意見を克服していきます。

●どのようなプログラムなのか
こうして定着しはじめたプログラムは次のような流れとなっています。
まず、中学3年生ではベネッセの進路サポートの教材を用いて、夏休みにインタビューしたり、進路研究をします。また、卒業生や保護者の話をもとに、「働く」ということの苦労や喜びを感じ取り、これをレポートにします。

高校1年生の宿泊オリエンテーションで「進路を考えるとは」をテーマに考えます。
この時、夏のオープンキャンパス見学に関する宿題があります。
翌月には、その年に大学生になったばかりの卒業生やその保護者の話を聞く機会が設けられます。
進路の在り方や受験に関する話を聞き、夏休みに入る前に夏休み後のグループ学習に関するアンケートを取ります。
生徒は夏休み中にオープンスクールを見学し、レポートを書きます。

2学期から行うグループ学習では、夏休み前のアンケートに基づき、クラスの枠を超えて国際関係や医療・看護、工学・科学などのグループに分かれ、一緒に本を読むなどの勉強会を行います。ロングホームルームの時間などを8コマを使います。
各グループには学年の先生がそれぞれつきます。

さらに、成績推移にみる大学進学実績や大学入試の実務的な情報が掲載された「進学ハンドブック」の発行や大学模擬講義が続きます。
部外秘の教師用資料では、それぞれの場面で教師が使える資料やフォーマットが実に細かにまとめられており、誰もが一定水準の指導ができるようになっています。

生徒はこうした進路学習プログラムを経て、高2で教科選択を行い、さらに絞り込んだプログラムに入り、高3になると具体的な小論文対策や出願大学対策に移ります。

●プログラムの背景にあるルーブリック(段階的・領域別の生徒育成目標)
こうしたグループでの進路学習は、福岡県立城南高校のドリカムの事例にもありますように、生徒の進路意識を高める効果があります。
ただ、今回のお話では、生徒のグループ学習が学年教師間の協働の機会になっていること、一人の先生の熱意と地道な努力が学校全体を変え一つのものを創りだしたこと、という点が印象的でした。

その協働の発端となったのが、各学年で到達すべき「学ぶ力」を示すルーブリック作りです。
中1、中2と学年が縦に並び、「学び」「キャリア」「進路」が横に並んだ表には、各学年で目指すべき生徒の状態が記載されています。
それは、数年前に学校調査を行い学校全体の見直しが図られた際に、中心的課題として「応用力」が挙げられ、その養成部会が結成されたことに端を発します。
中3、高3でどこまでもっていくかという育成計画を、学力だけでなく討議した結果がこのルーブリックとなりました。
このルーブリックがあるからこそ、進路学習プログラムを学校全体で進めることができ、またそのプログラムを評価し修正することができるということでした。

●感想
お話を伺ったA先生は、世界史という学問を通じて物事を批判的に見つつ、一歩一歩事実を構築していくというスタイルを持っていらっしゃるという印象でした。
その特性を生かし、「どのような生徒を育成したいのか」「そのためにどのようにすれば良いのか」をロジカルに考えるだけでなく、
様々な人に粘り強くかかわり続けながら、一つのプログラムを作っていかれました。形だけでなく、そうしたプロセスを経たプログラムだからこそ、
ホームページのテキストから何か伝わるものを感じたような気がします。ありがとうございました。

感動の連鎖

以前から何度かご紹介させていただいているA先生にお会いしました。九州のキリスト教系の中高一貫校で学校調査をさせていただいた際、ある先生のクラスだけ飛びぬけて満足度が高くでていました。そのクラスの担任がA先生でした。

以前に弊社代表が伺った話からは、チーム学習や承認がそのポイントであることがわかりました。しかし、伝聞には限界があります。直接お会いしたく、機会をとらえて伺うことができました。

A先生は世界各地を旅して、そこでの出会いを通じて大きな感動と感謝を感じられたことを話してくれました。国連にはノーマン・ロックウェルの描いたモザイク画が飾られています。それは、「あなたの欲するところを人に施せ」という黄金律の銘とともに、様々な人種や民族、宗教が描かれています。
A先生がアメリカに留学した際、アフリカ人の留学生と出会いました。国の将来がかかっているため、死にもの狂いで勉強していたそうです。その姿に出会ったとき、そうした人を支援するアメリカをすごいと思うとともに、「本気に触れれば人は変わる」という思いを抱いたそうです。

帰国後、担任をしたクラスではホームルームを全部英語でしたそうです。「俺が一生懸命話しているのだから、一生懸命聞け。」と言ったそうです。そして、「自分には慶應大学は無理だ。」という生徒に、「黙れ!自分の可能性を狭めるな。」と迫ったそうです。「可能性は本気に触れれば変わる。」 そのクラスからは、当時の学校としては早慶現役合格など異例の進学実績がでて、ある生徒は慶應大学を卒業後に共同通信で働いているそうです。

また、別の年には京都大学法学部に進み総務省に入った生徒もいました。そのクラスでは放課後にグループ学習をしていたということです。それぞれの生徒が得意なことを教え合う。「友達のためにやるとうれしかろうが。」「人間のレベルで比較したらその他大勢で終わる。もっと大きなものを心にもて。そうすれば自ずと謙虚になる。」と、生徒に言っていました。友達から「必要とされている」、そうした思いがより学習意欲を喚起するそうです。特に英語、古文漢文、数学で成績が伸びたと言います。このクラスでは3分の2が現役で国公立大学に入り、一人を除き英検2級に合格したそうです。

「人はあったかいものに突き動かされる。暖かみ、これを出せる人であり続けたい。」と話すA先生について、生徒は卒業文集で厳しさと感謝を伝えています。その中には、先輩が後輩にA先生の生徒としての心構えを伝えたり、励ましたりする場面もあります。先輩がこうしたことを伝えることも、A先生と過ごす中で多くの感動体験をしたためだと思います。

「感動の連鎖」、A先生とのお話で心に残った言葉です。

猿橋勝子という生き方

水爆実験の被害を受けた第五福竜丸事件について、健康被害には関係ないというアメリカの主張に対して、卓越した微量分析の方法をもってこの主張を覆した立役者です。
分析化学の世界的権威であったフォルサム博士と、先方のホームグランドであるアメリカで分析競争を行い、見事自分たちの分析方法の正しさを証明し、ビキニ実験による放射能汚染の影響があることを認めさせるにいたりました。

その師匠である三宅先生の言葉「科学者は、同時に哲学者でなければならない」という言葉を後進の女性科学者たちに伝え続けたということです。

志の強さと正しさが仕事の質を決める、ということに気づかせてくれる一冊でした。

http://www.amazon.co.jp/猿橋勝子という生き方-岩波科学ライブラリー-米沢-富美子/dp/4000074970/ref=sr_1_1?ie=UTF8&qid=1378701105&sr=8-1&keywords=猿橋勝子

キャリア教育のウソ

「キャリア教育のウソ」という本が目に留まり、さっそく買ってみました。
主な内容は、これまでのように「やりたいことを見つける」「それにあった職業を探す」「その職業につくために頑張ろう」という流れを前提とするキャリア教育の考え方の見直しです。

たしかに、そんなうまいことはいかないということは誰しも思っているところで、筆者もいうように「自分の適性と職業さがしを同時並行で関連づけながら進める」「職業を絞るのではなくいろいろと興味をもつ」という方向性で進める、ということはずいぶんと前から言われてきたことだと思います。
筆者の指摘にもあるように、消費文化に適合的なコンサマトリー(消費志向)な価値観は「今が良ければよい」という考えを導くため、「将来に向けてコツコツと積み上げていく」という学校文化をつくるためにも、こうしたキャリア教育が推奨されてきたのだと思います。

職業体験、特に中学校での実施は、体験を通じての学びや動機づけが目的とされますが、地元の商店街での体験を通じてキャリア形成するというのは無理があります。
本来は、高校や大学を卒業して3から5年後、10年後の学習支援体制があるかというところが大事なんでしょう。それこそ、これまで企業が担っていた教育なのでしょうが。

職業体験やキャリア教育を通じて意識すべきなのは、自分の価値観なのでしょう。それが、キャリアアンカーの土台をつくるのだと思います。そういう観点で職業体験を考えれば、事前事後の指導についてこんなことが考えられるかもしれません。

まず、事前指導として、体験先に応募するためのエントリーシートを書きます。ここで、自分がこれまでにどのようなことをしてきたのか、そこから何を学んだのか、なぜその体験先に行きたいのかという自分の体験の整理と方向づけをする機会を設けます。
そして、事後指導として「自分は体験先でどのような貢献をチームやお店にできたのか」「自分はどのような仕事が好きなのか/嫌いなのか」を省察します。

本書で、現在学校でも取り組める建設的な意見としては、

「キャリア教育を学習指導・生徒指導・進路指導の土台とする。中でも家庭科をキャリア教育上、重要な教科と位置づける」

「それぞれのライフステージで起こる問題や課題、仕事と生活をどう両立させ折り合いをつけるのかを考える」

「構造的に非正規社員が一定数生み出され、高校生の8割が非正規になるかもしれないと思っていることを考えるのであれば、丸裸で社会に出すのでなく、骨太の労働法を学んでおくことや、将来迷ったとき、困ったときに相談できる仲間を作っておく」

という点かな、と思います。

http://www.amazon.co.jp/キャリア教育のウソ-ちくまプリマー新書-児美川-孝一郎/dp/4480688994/ref=sr_1_1?ie=UTF8&qid=1374726557&sr=8-1&keywords=キャリア教育のうそ

君が舞台に立っていると考えてごらん。

先週、キャリアカウンセラーの勉強会がありました。キャリアカウンセリング理論の洋書を読んで意見交換するという勉強会で、社会構築主義的アプローチがテーマです。

社会構築主義というと難しいですが、社会で起こることや意味は人々の意識や感情で作り上げられている、という視点で物事を見てみようという立場です。

ここ数回のテーマは、キャリアカウンセリングにおける「ナラティブ」(語り)の重要性ということでした。
これまでのキャリアカウンセリングは、どちらかというと直線的で、「こうなるためには、こうしないといけない」という論理を積み上げていくアプローチでした。

これは、最初のキャリアカウンセリング理論ができた時代が、まだ近代的産業構造を前提としていたためで、チャップリンのモダン・タイムズのように工業モデルが主流だったことも影響しているようです。ホランドの理論の、心理テストによる個人特性の把握と職業のマッチング、という考えもこうした時代に作られています。

しかし、その後、ハプニング理論(人生何が起こるかわかならい)というようなものがでてきたことからもわかるように、先の見えない時代におけるキャリアカウンセリング理論が求められるようになりました。

そこで、これまでのような「大きな物語」が期待できない中で、小さな集団や個人が依拠できるようなストーリーづくりが求められます。こうした流れの中で、「ナラティブ」(語り)が着目されました。

ごく簡単に言えば、個人の経験として散逸している「事実」を意味のあるつながりとしてまとめること、その過程で細かな「感情」の機微に目を向けることが重要とされます。

具体的には、
・「あなたの生き方のあらすじ(プロット)はどのようなものでしたか?」
・「家族や親しい人から渡された台本(スクリプト)はどのようなものですか?」
・「あなたの人生の次の章はどのようなタイトルになりますか?」
などの質問が挙げられていました。

実際に参加者同士でこうした質問をしてみますと、質問に「ストーリー」を喚起するような単語があるせいか、自分の経験を関連づけるよう意識が働くことが実感できました。

体験後、どのような場面で生かせるかを話し合いました。
難しいけど、できたら良いね、と話し合ったのが毎年の人事考課の面談の場面ということでした。
「もし、この一年の活動にタイトルをつけるとしたらどうなる?」という質問で始まる面談をする会社って面白いですよね。

私たちのように学校に関わる関係から言えば、担任と生徒の面談の場面で使うと面白い効果があると思います。中学生ではまだ難しいかもしれませんが、高校生に対してこんな質問を投げかけてみてはいかがですか。

「君が、ある演劇の舞台に立っていると考えてごらん。そして、今、第二幕のカーテンが開いたんだ。君は、どのような役割を演じているかな?その劇はどのようなタイトルなんだろう?」

いつもと違う質問をすることで、きっと生徒の別の顔も見えると思いますよ。

体罰と師弟関係

ドイツ哲学者オイゲン・ヘリゲルが、自身の鍛練を通じて日本武道の稽古に見る独自性を書いた「弓と禅」では、
「師の体現する『型』の模倣に全身を投げ入れることで、その世界観を体得する」ということが書かれています。
そのため、師のいうことは絶対視されます。

日本芸能における「わざ」の認知について研究した生田久美子は、「<わざ>から知る」の中で、フランスの文化人類学者マルセル・モースの研究で用いられた「威光模倣」という言葉を使って同様のことを説明しています。

音楽という世界を<身体>に着目して描いた岡田暁生監修の「ピアノを弾く身体」の中の第3章「鍵盤を『打つ』指」のように、なぜ「ハイフィンガー奏法」という技法が日本で浸透したのかを、上記のような日本の師弟関係から説明した面白い論考もあります。

つまり、「芸事を極める」という考え方が、「野球道」という考えにも影響し、「師は絶対」という部分だけが取り出された可能性も考えられるということです。


あるテレビ番組で、大阪体育大学での取り組みが放映されていました。インタビューでは、「強くなるなら体罰もしかたないという考え方は、自分のなかにある」と率直に認める学生の姿もありました。自分が体罰を受けた大学生ほど、体罰を肯定しやすいという調査もあります。
大阪体育大学では、学生同士に「どんなコーチになりたいか」という意見を交流するなかで、「コミュニケーション能力の重要性」に気づく「場」を作っている点が取り上げられていました。

概念を見直すことで方法論も変わる、ということなのだと思います。

余談ですが、「ドラゴン桜」の筆者が、高校野球を題材に連載している「砂の栄冠」は、監督のいうことはほどほどに、選手が時に功利冷徹に自分で考えてプレーする姿が書かれていて面白いです。別の作者の「ラストイニング」なども、選手が自分で考える、ということがテーマとされており、興味深いです。

http://hoshiboshi.blogspot.jp/2013/07/vol11-no11.html