1995年に始まった福岡県立城南高校の「ドリカムプラン」。その後どのようになっているかが気になり調べるとドリカムも変化しているようです。その背景には入学する生徒の変化がある、特に学力の土台が揺らいでいる、と指摘しています。
もともとドリカムは、新学習指導要領のもとで育った子どもがこれまでの入学生と違うということをきっかけに始まったプログラムです。そして、およそ10年たった後、また見直しがはかられています。このことはどのようなすぐれたプログラムも10年、おそらくはもう少し短いスパンで構造そのものを問い直すことが必要であることを示しています。
構造そのものを問い直すとはどういうことでしょうか。ドリカムプランも毎年のようにマイナーチェンジが繰り返されています。(月刊高等教育「生徒主体の進路学習 ドリカムプラン」2002年10月増刊号)しかし、構造を問いなおすとは、今回の見直しでも触れられているように生徒観そのものを問い直すということを意味しています。
20年前の状況とは違い、いまでは中学校で職業体験をする生徒が増えています。これまでのドリカムの活動は生徒と大学または職業のマッチングを行うことを主とするプログラムでした。しかし、今は「働くことの意味」を問うプログラムに修正しているということです。キャリアカウンセリングのプロセスでは、「働くことの意味」を考えることが最初のステップで、次に「関心や強みと職業のマッチング」、その次に「職業調べ」と進みます。その意味では一つ前のステップをきちんとしようというプログラムになったと言えます。
このように生徒観そのものを問い直すという作業は、何も進路指導に限って必要だということではありません。記事では、肥大化したプログラムを「なぜこの行事をするのか」と目的を確認することで精選していったことが触れられています。これは、生徒の変容や教育的行為の目的でなく、その行事を行うことが目的化してしまう危険性を示しています。手段の目的化です。その結果、城南高校では「ドリカムに時間が割かれ、生徒一人一人と向き合う時間がなくなる」という本末転倒な状況が生じてしまいます。
こうしたことは、実はもう少しメタレベル(上位概念レベル)でも生じることです。例えば、「自律的な生徒を育てるためのプログラム」「自主的な生徒をつくるための指導」、とった言葉に隠されているパラドックスです。つまり、自分で自分を律することができるようになるために他律的に枠にはめられないといけない、自分から進んでものごとを行うように他の人からしつけられる、ということです。このことは、授業や校内研修といった組織的に学習する際にどのようなまなざしをもつべきかを示しているのではないでしょうか。すなわち、学習を構造化することは必要であるが、個々人と個人間で生じる関心や学びへの対応は個別柔軟に対応する姿勢が必要であるということです。
そして記事の中でも述べられています通り、いかにして集団をチームとして組織するかということに並行して取り組む必要があると思います。ダニエル・キムは「成功の循環」という概念で関係の質が考え方の質を変え、考え方の質の変化が行動の変化を生む、と考えを示しました。(Daniel H.Kim "Organizing for learning" Pegasus Communications 2001 p.78)個々に対応した進路指導は、個々人の良質な関係性を構築することで化学反応を起こし、進路意識の形成や進路に向けた動機づけをもたらすのだと思います。
まとめますと、今回の城南高校の取り組みから次のことが学べると言えます。
1.定期的に生徒観そのものを問い直す機会を設定する必要がある。
2.現在の進路指導の行事が、キャリアカウンセリングのどのステップに位置づき、どのような目的で行われるべきものかを整理する。
3.チームとして取り組めるプログラムにする。
○ベネッセ
http://benesse.jp/berd/center/open/kou/view21/2008/04/04shido_01.html
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